ある小学生の生徒さんで、苦手なことに取り組む段になると、手首や足首が痛いかのような素振りで手足をブラブラさせたりといった行動をする子がいます。それはおそらく本人も無意識かもしれません。


その子は例えば本当に痛いとか、寒いとかいった場合には、物怖じなくそれを口にできる子ですが、そういうシーンではまず儀式のようにそうした素振りを見せて、でも、その後動くのです。そして、良い感触で動けたりすると言われずとも何度もそれを繰り返す。


その最初の儀式のような行為は、「うまくできない」ということに対峙する居心地の悪さから逃れたい心、うまくいかなかった時の言い訳をどこかに用意しておきたい心が表れているのではないかと思います。


今のところ、私はまだそれを指摘していませんが、その態度に対して反応することもしていません。


苦手なことに向き合う時にそうした行動をしているということに、自ら気付くということを、もう少し待ってみたいのです。


厳しく指摘することももちろん時には必要ですが、いつもそれだけでは「指摘される」ということに依存してしまう面もあると思うのです。


自分が何をしているかに気付く。

それは身体操作だけではなく、そこに隠れている心にも自ら光を当てていこうとすることなのだと思います。

何をしているかに気付く