滑らかな伴奏


小さな子どもたちから、将来ダンサーを目指す学生さん、社会人の方や主婦の方など大人の方、様々な背景や想いを持った方々がナチュラリゼーションを学んでいらっしゃいます。


大人の方の中には、お仕事がとてもハードであったり、ご家族の介護があったり、中にはその両方を抱えながら、大好きなダンスを健やかに踊り続けるために、苦心して時間を編み出しレッスンを続けていらっしゃる方も複数います。


今週、そのような方が本番の日を迎えられます。


自分だけのことなら、如何様にも準備をしたり調整することもできるけれど、そうしたご家族のサポートはなかなか時を選んでという訳にはいきません。


「練習でできたことの数割も、本番ではできないものだから」とご自分を戒めていらしたその方ですが、色々疲労や御心労もあってか間際になって風邪をひかれ、レッスンのあった日にすっかり寝過ごしてしまい当日キャンセルになったことがありましたが、起き上がれなかったのはやはり、今は休めという身体からのメッセージだと思うのです。


バレエのお稽古も、ナチュラリゼーションのレッスンも、やっとの事でその時間を捻出していらしただけに、ご連絡を戴いた電話の声や後に戴いたお詫びのメールからはどこか切羽詰まった想いが感じられました。


確かに、技術的な面で練習でできていないことが本番でできるようなことはほぼ無いかもしれませんが、でもダンスってきっとそれだけではない。

意識的にコントロールするような形ではないところから生まれてくる動きや、それによって変わってきた身体、もうそれだけで数年前のその方とは随分違うところで、光の中への一歩を踏み出されるのです。


緊張して意識が他に向いたら消えてしまうようなものでは無い動きの基礎を、これまで育んできたのでは無いでしょうか?


踊りの中の目立つ技が主旋律のようなものだとしたら、育んできたものは滑らかな伴奏のようなものではないかと思うのです。例え、その主旋律に思った通りの準備ができなかったとしても、その滑らかな伴奏が踊り全体の印象を支えてくれると私は思うのです。


不安という邪魔を削ぎ落し、静かな湖面のような心持ちでその瞬間を迎えられる事を心から祈っています。